津軽海峡渡る⑥

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津軽海峡を渡る⑥


 


洞爺村から国道230号線に入りひたすら北上する。


沿線には広大なジャガイモ畑が展開する、羊蹄山の南麓を走るが一向にその山影には気付かなかった。


突然、逢坂誠二のポスターに出逢ったり倶知安を左手に見ながら定山渓を横切り200万人都市札幌に入った。


処が見るべきポイントの全てを割愛し琴似に在った屯田兵村の兵屋を遠巻きに見るだけにした。


築144年の兵屋の内部を見たかったが閉門されていた。


此の家屋の主たちが此の大都会の礎を築いたと思えば感無量である。


もう一つ時計台を捜したが生憎の改修中で工事用ベールに深く閉ざされていた。


そして今夜のお宿、「ホテルマイステイズ札幌すすきの」に投宿。


場所こそ超一等地だがお値段の割には前日の比ではなかった。


第一衣類の格納庫がないしシャワーの温度調整がままならない、ビジネスホテルなら慾は言えまい。


気晴らしに「すすきの」の繁華街へ成吉思汗とラーメンを求めて繰り出すのです。


「すすきの」の名の由来は明治4年に開拓使が置かれ其の公認の遊郭の名前としてあるのだと云う。


若者たちが路上のテントの中でえらく派手にライブを楽しむ。


歓楽街の雰囲気は片町や香林坊の比ではない。


恰も雑踏の人並みが「だるま」に吸い込まれるように店内は押すな押すなの大盛況。


カウンターに座る人の二倍三倍の待ち人が店内から溢れ出て長蛇の列。


みな厭わず気長に悠然と順番を待つ、これが天下の「すすきの」の風物詩なのかと勘繰る。


ウエイターやウエトレスは留学生たちでした。


お国はモンゴルですかと尋ねるまでもなくベトナムの方だと直ぐに分かった。


此のマトンは何処から輸入するのかと聞いたが知りませんと返答がきた。


出身はハノイかホーチンミンかの質問にはホーチンミンですと答えて呉れた。


分厚いお肉だがとても柔らかいタマネギに味が染みて美味かった。


どうしてもラーメンを喰いたい、有名なお店へ入ったがシャキッとした歯応え十分な文句なしのお味、どうしたことか店の名前が思い出せない家内に聞くがやはり思い出せないと云う。


どちらかと云えば地味なしっかりとしたお味だけは忘れない。