老いのひとこと

イメージ 1


イメージ 2



古文書の勉強会へ行ってきた。


今回は神社の古文書の勉強でした。


知らないことをたくさん教えていただいた。


神社には本来の神主が支配する神社と神仏習合の名残りで僧侶が支配する神社があると云う。


今日の題材、石浦神社は藩政時代には石浦地主大権現と言い表わし神主の代わりに慈光院寺務職が取り仕切ったのだと教わった。


明治維新を機に神仏分離令と共に石浦神社となったと云う。


此の教材は慈光院寺務職が町方氏子へ大破した寺の修理再建に協力を依頼し寄付金を懇願している文面である。


此の寺の在所には筆頭家老本多家が在るがそれでも「偏に希い奉り候」と寄附への協力要請を懇ろにしている。


 


此の紙片は恐らくわたしの曽祖父、当時池田町在住の高橋精路の元にも配布され目を通したであろうと想えば只ならぬ親近感を覚える。


但し、曽祖父が寄付に応じたや否かは判明の仕様が在るまい。


東本願寺へは再三に亘る寄進実績の証書が残るので何某かは応じたであろうと信じる。


 


関係ないが精路が氏子調に応じ此の石浦神社から氏子札を受け賜わった証が出て来た。


わたしにしたら歴史的宝物だ。