老いのひとこと

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わが母校新竪町小学校は廃校となり隣町の菊川小と合併するという。


148年の歴史の幕を閉じるのだという。


鈴木大拙室生犀星らの出身母校でもあり惜しまれつつ「思い出の展示室」を設けて市民に開放されている。


1954年昭和29年には大拙先生が来校なされ子らに語り掛けられた。


昭和29年と云えば戦後ベビーブーム走りの子らが入学し講堂はギュウギュウ詰めの立ち姿で犇めいている。


もし時計の針の逆転が叶うなら此のわたしとて拝聴致しかったものだ。


魂の抜けたもぬけの殻と化した当時のわたしに生き抜く術を授けてほしかったものだと回顧する。


その折に揮毫なされた扁額を目の前にしてこころが改まる思いです。


 


 


わたしは昭和17年に新竪町国民学校に入学し昭和23年に新竪町小学校を卒業した。


当時のアルバムから貧相なる形相の此のわたし自身から目を逸らし、また講堂の奉安殿の前に写る教職員の集合写真から我が厳父を捜しだし目を伏した。


恥ずべき愚挙で親父の顔に泥を塗り手繰ったことを今更のように心を痛め悔悟する。


当時教頭職に在ったオヤジが教育勅語を恭しく捧げ持って校長の下へ歩み寄る姿を薄目で見ていたことをつい昨日のように思いだす。


確かに此のわたしにも思い出深きわが母校だった。


閲覧のチャンスを逃さずに来てよかったとつくづくそう思った。