老いのひとこと

昔の偉人さんや今を生きる著名な偉人さん方は人生何のために生きるのかと自問自答し思わずうなるような名言を残して呉れているのです。

それに引き換え今の此のおのれの生きざまはこりゃ一体何なのじゃ。

 

確かにコロナ下の猛暑の中ではどうしても俯き加減で前向きにはなれない。

 

 

考えてみればわが人生何から何までありとあらゆる行いがムダの連続でありました。

敢えてムダを承知の上でムダの山を積み重ねてきた。

おのれが為す行いが何ら役には立ってはいない。

おのれ自身の為にもなってはいない。

のみならずおのれの周りに存在するものたちにも一切合切何もかもが全く役には立っていない事に気付いた。

最早おのれの周囲でおのれの行為を認知して呉れる者は誰も居ないことに気付いた。

全て何もかもがムダだった。

ムダを承知の上でラジオ体操に興じ畑仕事に汗を流しつづけているおのれに気付いた。

 

 

ただ此のおのれを此の世へ送り出して呉れた親だけはお前は相も変わらずムダのことを平気な顔をして遣っていますなあと労いの眼差しを注いで呉れている。

此のことだけが唯一の救いとなった。

役に立たなくても好いのです。

役立たずのヌーボーゆえにムダを承知の上でムダな人生を覚悟してゆくしかない。

 

合理的な生きざまを追い求めることにもう疲れ果てました。