沖縄旅日記 二〇〇七年十二月十二日~十四日
十五世紀の初めころ琉球王国の統一に力を貸した護佐丸という築城家でもあった一武将により築かれた堅固な城跡だという。
荒涼とした高台に殺風景なたたずまいを現す。
威風堂々とした石垣や城壁の趣はどこにもないのである。
その理由付けはこの地の地盤が極めて軟弱なので物理的に加わる重力を合理的に分散させた絶妙の方策の現われなのだそうだ。
護佐丸が抜きん出た築城のテクニシャンであった証でもあるらしい。
そういわれてみればよく納得できる。
琉球文化が大陸文化なかんずく明朝時代の中国文化からの強い影響下にあった何よりの証拠なのだそうだ。
極めて殺風景な中で、人口に膾炙されることもなく王朝時代の趣を素朴に継承していることが、何よりも世界遺産に推挙された所以と言えよう。