老いぼれの独り言

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わたしの母方のご先祖のことになります。
津田家4代目当主に津田七郎善政なるものが居りまして、此の者妻を娶ること適わず24歳の若さで夭逝してしまった。
それで、此の七郎のもとへ杉山波江なるものが養子に入り5代目津田彦右衛門を名乗ったのだと記録に残るのです。
して此の杉山波江なるものを辿れば杉山小助隆重に行き着く。
此の小助隆重は伊予の国の後藤新兵衛の嫡子で杉山小左衛門の養子になったのだという。
天正10年高徳公に仕え知行700石、正室佐々成政の家臣増田藤兵衛の娘を迎えたとある。
どうも、此の小助隆重は佐々成政の譜代の家老衆に数えれる程の人物であったらしい。
依って、成政より越中一乗寺城と加賀の松根城の城主を仰せ付かっていた。
わたしが古城「松根城」探訪に固執した訳は此処にあった事になる。
杉山波江こと津田彦衛門を代々遡れば兄杉山新平は大小将から加州の郡奉行を勤めた。
その先、杉山彦左衛門延久は表小将、大小将から横目付に、さらにその先には杉山織人、杉山帯刀さらに溯れば杉山清左衛門由持は小松番頭を勤めている。
その先に、小助由之が見えるが恐らくは小助隆重の子か弟になろうことかと推測するのです。
松根城址の本丸跡に立ってわたしの遠き遠きご先祖の者が同じ此の地にて陣羽織に幟旗を携え鬨の声を発していたかと察すれば何をか思わんである。
 かりに戦乱期の歴史におけるほんの一瞬のまばたきにも似た刹那の出来事であれ此れが事実ならやはりあっ晴れと云うしかない。
 
 
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