金沢市の北東部に松根城と云う山城がある。
カーナビさえあればと思いつつ果てしなく続く林道を迷走しながら漸くにして曲子原 (まげしはら )町の住人の道案内を乞うて辿りつけた。
台風一過で秋の深まりを肌で感ずる。
峠の木立ちを吹き抜ける一陣の風はからりと澄みきり眺望もおおむね良好と云えり。
また、此処は加賀と越中を結ぶ小原街道が通じ通商上また戦略上からも願っても無い要衝の地として存在したのだという。
金沢の街中が遠望できて目を凝らせば日本海の水平線も視界に入る。
片や東方の眼下には砺波・小矢部の平野が手に取るように展望できる。
惜しむらくは、あの立山連峰の勇姿は雲間に在って暫しお隠れ遊ばされていたことだ。
世にいう末森山の合戦の幕が切って落とされたのだが恐らくその時点では成政は目の前の戦で敗退することも益してやそこに見える立山越えなんて夢想だにしてはいなかったに違いない。
家康に急報を告げんと決死の思いで激寒の立山を踏破したのだという。
真偽の程は兎も角として世にいう「さらさら越え」の伝説話になりましょう。
いっぱしの戦国武将たる佐々成政が此処松根城をねぐらに歴史のほんの束の間に過ぎぬが大きな勢力を囲っていた事だけは事実なのでしょう。
実はこの辺鄙なる古き城址『松根城』をことさら探訪したのには実はもう一つ別のちょっとした訳があったのです。