うらなりの記《120》

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第四章まとめ
 
㉗それにしても、時代錯誤も甚だしい言い草ではあるが、野田山に君臨する前田利家公の墓所を護衛するかのように周囲を取り囲み、本家利治家の墓石、今は亡き次男鉄二家のそれと此の愚かなりしうらなり自身が必ずや横たわるはずの予約済み指定席たる三つの墓がそれぞれ、この平成の世にあっても黙然とした風情で佇んでいるではありませんか。
 
 のみならず、我が母方津田家ご先祖の錚々たる墓群がふとした機会にわたしにしたら劇的な大発見に連なった。
 郷土史家舟田氏からのお力添えに衷心より感謝致さねばなるまい。
 実母としの祖父津田近吾を儲けた藩政晩期の陪臣、津田清三郎近猷と遠藤家から嫁いだ正室鉚の方の清楚な墓石並びに清三郎近猷の実父津田金太郎近義のそれとが野田山山中の芝山の地に凛として聳え立つのです。
 但し、その事が今の世に如何ほどの価値を見出すか否かについては個々人の判断に任せばよろしかろうと存ずる次第なのである。
 わたし唯一人が優雅な歴史のロマンに浸り悦に入っているのかも知れません。
 足軽分際であった高橋家本家筋は裾野のずっと外れに位置し高橋家分家筋の弐基は遙か背後の奥まった箇所に位置していよう。
 片や、津田家のそれらは主要なる芝山の地に位置し前田家を強力なる陣営で守衛しているのは確かなようだ。
 いずれにしろ、ご先祖の方々は主君を取り巻くように安らかに眠っていられるのです。
 何時の世に誰が手向けたものでしょうか、シキミの花で彩られていた。