老いぼれの独り言

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本来なら国旗を掲揚し降納いたすべきところ此のわたしは鯉のぼりの掲揚と降納をいたした次第なのです。
大阪の孫たちは丁度「憲法記念日」から「子どもの日」を目指してやって来た。
国旗も鯉のぼりも両方掲げて然るべきところわたしは何故かしら心情的に後者だけを選んでしまった。
長男誕生の折に義父からプレゼントされし50年むかしの鯉のぼりだ。
息子らの成長と共に長らく中断したが初孫の生誕を期に再開してそれ以降は毎年端午の節句を祝ってきた。
今年は二日に掲げることにした。
何せ命がけの大仕事になる。
屋根に出て、最早立てって歩くことが敵わない。
生憎の右足を(かば)って万が一よろけたら第一巻の終わりになる
左傾斜の屋根に腹這いになって体を横たえるしかない。
身を乗り出して支柱のポールを針金で(ぬき)の部分に固定しなけばならない。
此れがあぶなかしくて危険千万、家内も齢を考えなさいと制止の忠告を繰り返していたのだが、「恐らく今年のこれが最後の挑戦だろう」と敢えて決行に及んだ。
へんぽんと翻るのをみて溜飲が下がった。
皐月の薫風に心地よく泳ぐ姿は誰の目にも絶品に映る。
孫たちも両手を掲げてキャキャはしゃいで呉れたではないか。
双子ちゃんは声を揃えて「こいのぼり」の歌を口遊(くちずさ)んでくれたではないか。
此れにて大騒動して掲げた甲斐があったというものだ。
孫たちは三日に来て五日にはもう帰って行ってしまった。
「鯉のぼりさんさようなら、また来るね」と愛想の好い言葉を残し手を振りながら消え去った。
翌六日は折角の五月晴れの好天であったのだが早々にポールを撤去することにした。
寂しくなった我が家は更に一層静まり返りひっそり閑としてしまったのでした。
 
 
 
 
十年も経てば此の孫たちも立派に成長し恐らくわたしの此のブログを紐解いて呉れることであろう。