老いのひとこと

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先日のこと、郷土史にお詳しい知友舟田氏の同伴を得て寺町妙典寺に鎮座する「津田半山君墓」をカメラに収めてきた。
威厳放つ自然石の堂々たるものだ。
現段階では、津田一族の中に「半山」の名は未だつまびらかにされてはいない。
敬服するに値するような「半山君」にはまったく心当たりがないのです。
ただ、此の墓前に立つ二基の石燈籠の一つに八名の姓名が明記されるのです。
「半山君」と同期同輩のやからか、それとも「半山君」を師と仰ぐ同門の門下生たちなのか皆目見当の付けようがない。
八名の名前をネットで検索したが手掛かりはまったくなかった。
ただ、この八名の中に「津田近吾」の名がありもう一人「津田伴四郎」なる人物名が目に付くのです。
近吾を含めた8名が連名で此の「半山君」を顕彰したことになりましょう。
あるいは、此の8名の者たちが連名で此の墓石を寄進致したことになりはしないだろうか。
「津田一幽」一門の菩提寺は此処妙典寺に他ならない。
その中にあって、第6代「金太郎近義」と第7代「清三郎近猷」だけは何故かしら妙典寺に非ずして野田山に葬られているのです。
何か深き因縁があろうこととは存ずるが今後の大きなわたしへの宿題と致しましょう。
よこしまな邪推に過ぎないが「近吾」は仲間らと共に師と仰ぐ父「清三郎」を「半山君」に託してこれを建立致したのではなかろうか。
父の遺霊を野田山から此処妙典寺に移したのではなかろうか。
架空の推論ほど愚かしことはない。
実は、此の墓石の裏面に刻まれた碑文を微かに読み取ったのです。
即刻、拓本七つ道具を持参して挑戦いたさねばなりますまい。
解読の暁には全ての謎が氷解いたすことでしょう。
善は急げだ。
併せて、「津田伴四郎」とはいかなる人物か、その詮索活動も開始しなければなりますまい。
何やかや、急に忙しくなりました。
また、舟田さんからのサゼッションあればと存ずる次第です。