老いのひとこと

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此れを「宝の持ち腐れ」というのかも知れません。


義理の父母から貰い受けた木箱からまたまた意外なものが見付かったのです。


季一郎がしたためた勇壮な文字の掛け軸なのです。


『春光和風亘新年』と読めるのです。


春が光り輝く新たなる年に和やかな風が吹き亘っているとでも解釈できるのでしょうか。


実に筆勢猛猛しい男性的な書ではありませんか。


落款には確かに樋口季一郎とあるのです。


早速、検索致せば淡路島出身の季一郎は陸軍士官学校出のエリートとして関東軍率いるハルピン特務機関長から第九師団師団長の肩書で終戦を迎えているのです。


知る人ぞ知ることながら第九師団の衛戍地(えいじゅち)は此処旧金澤城内から昭和15年には満州国に移されたのだという。


従って、此の樋口季一郎が此処満州の地にてアドルフ・ヒトラーの圧政から逃れた二万に及ぶユダヤ難民の命を自らの立場を顧みることなく健気な人道主義思想に基づき見事救済に及んだというエピソードが現実味を帯びるのです。


当時の軍人さんとしては極めて稀有なる見上げた人物であられたのです。


日本人として誇るべき陸軍少将で居られたということなのです。


金沢に所縁の人物なので護国神社に照会すれば菅野宮司さんより開口一番素晴らしき朗報をいただくことになるのです。


つまり、此処護国神社の元宮司さんで居られた鏑木勢岐氏の姪御さんと樋口季一郎さんの孫娘さんが懇意な間柄であり、また季一郎直筆の扁額が此の護国神社の拝殿に既に掲げられている両者の密接なる繋がりをお聞きするに及んだのです。


其れを知ってわたくしは即座に此の手元にある季一郎の掛け軸を護国神社へ寄贈いたすことを決断いたしたのです。


とある吉日の早朝に神社へ出向き窓口にて寄贈の手続きを執って参ったのです。


これにて樋口季一郎氏も此の季一郎直筆の掛け軸も恰好の場所にてちゃんと浮かばれる事と相成ったのです。