沖縄旅日記 二〇〇七年十二月十二日~十四日
あれから8年の歳月が流れました。
辺野古の海は今また浪穏やかではありません。
いや、むしろ波風起って予断を許さない。
われらとて安閑と致すわけにはいかない。
注視のまなこは決して忘れはしません
- ⑧日本復帰後三年目の一九七五年(昭和五十年)に開催された沖縄海洋博についてはわたしにはその記憶も知識の片鱗すらない。
その跡地に国営沖縄記念公園が作られたのだという。
広大な敷地を有する海洋博公園とも呼ばれ何の変哲もないただひたすら長々しい鍾乳洞と海遊館の元祖と思しきジンベイザメが遊泳する巨大な水族館に熱帯植物園など沖縄の大自然を背景に趣向を凝らした数多くのパビリオンが林立しているのです。
それ以上に先ずは足が棒になってしまいやはり年寄り向きとは申し難い。
押し並べて、此処沖縄で道すがら目にする人たちは概してお若いのです。
意外と行き交う人たちの世代が若々しい。
確かに修学旅行生を多く見掛けはしたがそれだけでななさそうだ。
そういえば、かって中国を旅した折に現地の仏教寺院の境内でみる参拝者の顔触れが圧倒的に若年層が多かったことを思い出す。
失業率八%で全国ナンバーワンの悪しき実績と何らかの因果関係があろうとは分からぬ事だが、とにかく若年層の姿が目立つのである。
公園内のイベント会場では沖縄独特の哀愁を帯びる旋律の中にも南国のおおらかで屈託のない、とても勇壮な笛太鼓に蛇三線のダイナミックでリズミカルな響きがあった。
若く溌溂とした男女が軽快なステップを踏みながら何かをからだ全身でアピールしている。
これは間違いなく琉球の誇りであり民族の魂の叫びでもあろう。
わたしは唖然として魅せられていた。
此処は、やはり日本国内であっても何故かしら隣国のような異国のようなそんな気持ちに浸っていた。
此処も温泉付で、添乗員さんから貴方たちはラッキーですねと言われた。
浴場は何度でも使いぱなしでよかった。