老いのひとこと

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見るからに危なかしい如何にも崩れ落ちそうな石燈籠ではあるが恐るおそる近付いてよくよく観察いたせばどっしり構えて微動だにしなかった。


決して、高等数学の数式で以って割り出されたものではないと思う。


小堀遠州以来の永き伝統に育まれた一流庭師による匠の造園術が今日まで脈々と流れ来たったのでありましょうか。


巨大な重量を見事に按分し分散し絶妙のバランス感覚を安定的に保持させるには長年の経験と勘によって培われた職人魂がなければ成り立つはずもない。


危なかしいが右にも左にも傾かない平衡感覚が憎たらしいくらいに凝縮している。


今日は偶々FMN1と云う民間放送を耳にした。


教育相談で新聞紙上の人気を博された著名な日本画家のお方のトーク番組である。


歴史談義がお好きなようで独特な史観に基づくお話を単刀直入にずばりととてもユーモラスな口調で語られるのです。


戦争に主眼を置いた近現代史をどちらかと云えば皇国史観に近い右寄りの視点観点で解説なされていたのです。


穿った見方をすれば此の先生の論点は恐らく戦後七十年談話を控える安倍総理には耳触りのいい音色に映ったことでありましょう。


ポッダム宣言受諾により戦争終結に至る様々な経緯を語られたがその間只の一言たりとも敗戦の表現はなかった。


戦争は終わったのであって日本国は決して戦争に敗れてはいない感触をリスナーに無言で教え導いたのではなかろうか。


此の番組の聞き手進行役の女性アナウサーは悉く語り手の見解とか歴史認識に対し全面的に相槌を打ち迎合し肯定する番組構成なのである。


或る意味重大なるメデアによる世論形成と勘繰られても仕方がない。


せめて聞き手アナウサーから「終戦を敗戦と捉えては如何でしょう」の言葉を一言挟むだけで公共放送としてのバランス感覚とか中立性が担保できたのではないでしょうか。


高がラジオであっても見解が一方的に偏向すれば決して好ましくはない。


とても危険な事だと石燈籠を観察しながらそんなことを感じた。