老いのひとこと

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先日、第16回剣道世界選手権をテレビで見た。


終始固唾を呑む思いで観戦した訳ではない。


男子団体戦のほんの一部分だけ見させてもらった。


確かに此のわたくしも竹刀を握る端くれ者ではあるが短い間に随分と剣道も異質なものに早変わりしたものだと呆れ返り幻滅してしまった。


此れは最早剣道ではないのではないか。


次回以降は明確に第17回剣術世界選手権と改めねばなりますまい。


どうしても剣道の名称が欲しいのなら新剣道と名付けた方がいい。


恐れ多くも、あれが日本武道館の名のもとに全剣連主催の催事では草葉の蔭で山田次郎吉先生や小川忠太郎先生や井上正孝先生らも嘆き悲しんで居られはしないでしょうか。


憚り多くも、あれは「剣の理法の修錬によるによる人間形成の道である」と謳うあの尊い理念から明らかに逸脱している。


日本国剣道の理念を明らかに冒涜している。


あれは人間ではない餓鬼たちが竹の棒を振り回して敲き合い殴り合いをしているだけではなかったでしょうか。


江戸中期の剣客針谷夕雲ですら遠い昔に畜生兵法畜生剣法として蔑み忌み嫌っていたのですよ。


あれは餓鬼という名の畜生らが筋力とスピードを競い合う格闘技を演じたに過ぎない。


あれでは後継者は育たないとわたくしは思った。


関係者はもとより竹刀を握る剣道人は総て『武道としての真実の剣道』を再構築いたすよう目を覚まさねばならないと思った。


あの男子団体決勝戦を見てつくづくそう思った。


 


大将内村選手が引き分けたのはこのような仕合で勝つことを憚ったのだとわたしは見た。


偉い!