老いのひとこと

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とうとう国状に激変をきたす山場が見えてきた。


いよいよ大詰めに来た安保法制の行方を左右する重大なときが目の前に差し迫る。


安閑としておれまい、かと言って新幹線で東京へ赴くファイトもエネルギーもさすがに持ち合わせません。


せめて此の地で間に合わせようと玉川公園へ素っ飛んだ。


数百人ほどの人の輪の中から音量を落としたマイクの声が訴える。


弁護士会が主催する集会だが弁士は市井の人たちばかりだ。


その人たちは決して雄弁とは云えない、やはり居ても立ってもいれないもどかしさを素直に率直に訥々と語り掛けていられるのです。


パッと湧き立つような意気軒昂な場面の演出はなかったが日本国の将来を憂うる重々しい雰囲気を引き摺ったまま粛粛と示威行進が始まったのです。


わたしも後尾の方で自転車を引き摺りながら参加いたした。


途中、中央公園に差し掛かるとえらく賑々しく鳴り物入りでやっている。


立派なステージではAKB48のような華やいだ舞台が披露され大勢の若者たちが取り巻く。


安保集会にしたら派手すぎると思いつつ本部役員に問い質せば案の定安保とは全く無関係だという。


それにしても、意外と良心的で紳士的な対応が返ってきたのには驚いた。


何れにしろ此れも「表現の自由」に違いない、眞實此の「平和」な国を維持し存続させるには憲法12条にいう通り「国民は不断の努力によって此の自由や権利の保持に努めねばならない」のでしょう。


ポケッとしていると権力を握る為政者は此の国民一人一人が有する天与の自由や権利を蔑ろにしないとも限らないのです。


不断の努力を怠ってきた日本人ではあったが今漸くにして事の重大さに気付いたのです。


わたしもその一人として此の集会に参加し拳を振りかざすのです。


同じ公園の一方の隅っこで別働隊による安保反対集会が持たれていた。


一見して此処金沢にもシールズが進出したかと勘繰ったほど若々しき青年グループでありました。


お若き女性たちが主体となって自然発生的に参集したグループであるらしい。


プラカードを首に掛けるように勧められたのだが自転車を理由にして連れなく断わってしまった。


不甲斐ないヤツだ、自分が情けない。


でも今日はデモ集会をハシゴしたことになる。