老いのひとこと

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しょむないことながら朝寝坊してラジオ体操をすっぽかしてしまった。


冬至が近付くにつれ白々と夜が明けはじめる時刻が随分と遅くなったものです。


黎明と共に目覚めるのが正しければ、体内時計が狂ったのではなく正常に作動してる何よりの証拠かもしれません。


特に曇天の日には、時計の針が6時を回っているのにうとうとと睡魔が襲い來るのは決して不思議な現象ではない。


 


天文学の知識は太古の人たちより遙かに劣り此のわたしには無いに等しい。


そういう学問的な背景に付いてはよく分からないが秋分が過ぎ冬至が近付けば太陽の勢いが次第に弱まり夜明けが遅くなる現象は経験上知ってはいる。


 


遠き卑弥呼の時代の人たちにもこの現象はとても大きな関心事であったらしいのです。


先日のこと「冬至祭」という珍しい学説を山鳥さんから直に窺がいました。


農耕神事として太陽に喝を入れ活力を呼び戻そうと村人挙って美濃の朝鳥神社では今以って鶏鳴神事が継承されているのだとおっしゃるのです。


お天道様に元気になってくださいと神官が「カケッコー」と叫べば諸人挙って「オー」と唱和し併せて敬虔なるお祈りを捧げるのだという。


実に素朴で微笑ましい。


体操に遅刻したわたしにもその気持ちは全く同感できるのです。


 


併せて、次元異なる事とはいえ直心影流「法定の形」では「上半円」を演じながら全宇宙の活力を我が丹田に確とおさめるのです。


でも、そのような好い加減な真似事を幾ら張り切ってみようが全然らちがあかんのである。


目覚めが悪く遅刻いたすのは法定修行が足りぬの一語に尽きることになる。