老いのひとこと

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孫よ孫よと幾らもてはやす間柄であってもさすが四六時中接しておれば気忙しく感じる時も正直のところありましょう。


でも、バイバイ又来るねと別れを惜しんで立ち去ればこれまた胸中に大きな空洞が生じ寂しい限りだ。


三泊四日の滞在を終え孫たちは帰って行った。


 


此のわたしたちの空洞を埋めるわけではないが入れ替わる様に家内の妹が同じく大阪から乗り込んできた。


母親のお墓詣りと母の妹のチヨ子叔母ちゃんのお見舞いに来たのだという。


家内も同行しわたしが運転した。


七塚で育った叔母ちゃんは高松のブドウ園農家に嫁ぎその一生をブドウ栽培に捧げられた。


今や余生を特養ホームで静かに過ごす。


92歳の高齢を感じさせない大きな声量で会話が成り立ちその旺盛なる記憶力には舌を巻く。


話の節々で何度も両手を合わせ合掌のポーズをとる。


感謝の気持ちが自然に為せる技なのでしょうか。


此の世に生かされていることへの感謝の念を改めて幾度となく態度で表現する、まさに生き仏のように映る。


枕もとのケースにふと目をやれば無造作に一冊の帳面がある。


無駄なく最後のページまで日付や時刻の数字と大きめの文字で埋められている。


包装紙にまでも文字がぎっしり書き連なる。


“みつこ みまいにくる”


記憶の灯火が消え失せないように92歳のお年寄が懸命に最善の策を講じている。


生の記録に勤しむお姿はお見事としか言いようがない、ナース室より新しい帳面を宛がってもらった。


その時も合掌のしぐさを見た。


家内たちは再会を固く約束して老人ホームを後にした。