まだ残暑が厳しい頃の事、なんでも鑑定団を見ていたら松田権六の漆芸作「棗 ( なつめ )」が1300万円と出て驚いた。
人間技の極限を見てびっくりしました。
そのような棗に肖ろうなんて飛んでもない在り得ないことだ。
茶道のチャの字も分からぬものが烏滸がましくも程があろう。
だから、之は決して棗ではありません、棗もどきとも呼べません。
棗のような形をした粘土の容器を手捻りで試したにすぎません。
でも蓮月さんが為したように竹串で一期一会と彫り込んで悦に入る。
ところが危惧した通りやはり本体と蓋の反りが合わなかった。
厳密な設計図に基づく作業ではありません、轆轤も用いず全く好い加減なアテズッポにすぎない。
馬が合うはずがないのだが旨いことに修正が可能な範囲内に納まっているようだ。
蓋が大きすぎてダブダブなら修正の余地なしだが何とか丹念にサウンドペーパーで磨けば何とかなろうかと望みを繋いでセッセセッセと磨く。
為せば成るの固い思いで根気との勝負を覚悟したのです。
本体の立ち上がり部分を薄く垂直に研磨し、一方蓋の小隅から合口までも極力薄く垂直になるよう研磨また研磨いたさねばなりません。
先は長い、未だ見通せないがとても生産的作業なので遣り甲斐は十分にあるのです。
まだまだ残暑は厳しい。