大阪の旅≪7≫

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ギリシャ系のアメリカ人ラフカデオ・ハーン氏は40歳で来日し松江藩士小泉湊の娘節子と結婚46歳の時に名を小泉八雲と改め正式に日本人となられたのだという。


松江滞在はわずか一年余りであったらしいが八雲が熱く所望した武家屋敷に妻節子と共に暫し新婚の居を構えたのだという。


松江城の外堀に面して小泉八雲記念館と其の小泉八雲旧居が隣り合うように建っていました。


でも、しがない小旅行ゆえ我らの松江滞在時間も無惨なくらい短かった。


八雲の業績を具に見届けることたがわず駆け足見学に甘んじました。


八雲は日本人ですら近寄り難い古事記の世界に踏み入り奥深い研究を為されたのだとある。


自分の八雲の名の由縁は須佐之男( すさのおのみこと)が詠んだ和歌「八雲たつ 出雲八重垣 妻 ( ご )みに 八重垣作る その八重垣を」から引用したのだという。


幾重にも湧きいずる八雲に目出度き兆しを期したのでしょうかお部屋には「祥雲」と書かれた扁額が掲げてありました。


こよなく愛でたお庭には百日紅の古木がでんと座っていました。


きっと八雲の自慢の老木であったのではなかろうか。


御座敷には異様に脚長の机が目に付く。


西洋の方なので机の方も背が高いのだろうと思いきや意外なことに小泉八雲は160cmばかりの小軀であられたという。


受付で尋ねれば極度の弱視であられた由、漸く納得できたのです。


 


八雲邸の前からバスにて松江しんじ湖温泉駅に出て一畑電車に乗り換え出雲大社前駅に11時38分に着いた。