遠いむかしの思い出です。
戦時中から戦後にかけてわたしたちは池田町の一番町に住まいがあった。
大家さんの若きお妾さんが同居するしがなき借間生活でした。
それでも両親はわたしたち兄弟の養育に精を出してくれた。
生き物愛護と情操心を育まんと両親は鶏の飼育を許してくれた。
狭い縁の下の一角に割竹で編んだ囲いを設け鶏小屋とした。
石浦神社の祭礼でヒヨコを頂き夜は寒かろうと裸電球を灯して世話をした。
中ヒナに成長し白い羽が生え変われば小屋へ移したがどうした事かオスしかいなかった。
世界一の鑑別術が威力を発揮した何よりの証、それでも往時はまだオスの運命には世間の温情が巧く働いていたのだと云えまいか。
瞬時にして生きたまま粉砕機に掛けられる現今とは違っていた。
縁の下で早起き鶏に目覚めを催促された遠き遠きむかしの事が微かに微かに思い出されるのです。
勿論ひと通りが途絶えたことを確認した上での挙動で幾ら破廉恥者でも他人様の目の前では憚らねばなりません。
住めば都と云うではないか如何ほどに劣悪な居住空間であれ夫婦仲良く相睦まじく愛の巣を営めるものなればそれで良しと致さねばなりますまい。
オス鶏だけの独居世帯と思いきや番いでいらっしゃるではないか。
確かに不憫とは感じ入ったがそれでも餌と水をいただければ決して虐待とまでは言えまい。
帰り際にはわたしへの挨拶を返すようにコケコッコーと威勢のいい鳴き声を披露してくれた。
被写体を的確に捉えてはいません再度の挑戦です。