此の際、もう一方の良識を意思表示しようと中央公園での集会に参加した。
一人でも多くの参集にお手伝いしようと老骨にムチ打ちペタルを漕いだ。
あふれる熱気に淡い期待を寄せたが案の定些か褪めた雰囲気でしかなくこれでは如何なものかと思わざるを得なかった。
お決まりの通り一遍の口上を幾ら大声で申し立ててみてもあまり効果はないように思えてならない。
法相の発言がどうのこうの云うたところであまり意味がなさそうに思えて仕方がない。
大事なことは、今日ここに集まった数百人余りの同志の連帯感や志気を如何にして高めるべきかその方策を聞きたかった。
余程堅固な政治的信念の持ち主でない限り此の集会に足を運ぶこと自体ためらい不安視する立場の弱い仲間への気配りや配慮を語ってほしかったが残念ながらなかったようだ。
色んな利害得失からお上に物申すことに怖じ気付くわたしの様な仲間に語りかけ勇気付ける演説がほしかった。
いくら強硬論で抵抗しても数の力で敵わないではないか。
数の力を逆転させる上手い方法がないものだろうか。
少しばかり距離を置いて佇むわたしへ平然とカメラを向ける仕草にもこころが激しく揺れ動き疑心暗鬼に陥るのです。
そういう世の中の再来を危惧し払拭させるに足る熱き連帯感を共に皆が感じ合える集会であってほしかったなあ。
このままだと此の国がまこと不味いことになってしまう。