老いのひとこと

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隣町に嘗て同じ職場で世話になったT女史がいられる。


わたしより年上で在られる所為か足腰を患われ特に膝が思わしくないことを聞かされた。


手術とリハビリを繰り返され目下の処、日赤にてリハビリ加療をつづけられる。


杖を突いたびっこ姿は痛々しく、かつての矍鑠たる面影は何処にもない。


 


今年の早春のころ、電話が入り足がないので日赤まで車を出して貰えないかと懇願されたのです。


困った時には御互い様だと快諾申したことが切っ掛けでいつの間にかわたしは女史のお抱え運転手になってしまった感は否めない。


以来、水曜日の午前10時過ぎに日赤へお出迎えに行きご自宅までお届けするのがなりわいとなってしまった。


往路は家の者に頼むらしく帰りの便をお手伝いすることになった。


困った人のため役立てば此れほど結構なことはない。


ところがどうしたことか伏見川沿いの桜並木を見たいと言い出される。


七瀬川木蓮の花を見たいともおっしゃる。


場合によっては香林坊の大和までお願いしたいと泣き付かれたりもする。


やれ有松中央病院までとか水曜以外の曜日にも電話がかかるときもある。


家内も、人助けもいいが万が一事故を起こせば大事になろうからお断りしなさいと盛んに忠告する。


確かに他人様に信頼され頼られることは良いことだが少しく度が過ぎエスカレートした嫌いは無きにしも非ずと云える。


かと言って厭な顔をして無碍に拒否するわけにもいかずジレンマと葛藤に苛まれる凡人凡夫が此処にいる。


今日も日赤通りの床屋さんから電話が入り立往生同然の女史救出に緊急出動いたしました。