現役の頃ゆえもなく盆栽に凝った。
やれ真柏がどうした錦松がどうしたとわざわざ高松盆栽祭りにまで足を運んだりもした。
ところが熱し易く冷めやすい天下の三日坊主、鳩ぽっぽのように飽きてしまっていた。
今や無用の長物と化した大小様々な各種鉢植えがうず高く積み重なる。
これは些か異常です、恰も盗品をそっと隠し持っているようにさえ覗えるではないか。
其処で、わたしの思考はハタと停止してしまっていた。
先日の事、名の知らぬ篤志家の先例に見倣おうと一度は決意したがそれを取り止めることに今また決意した。
其の訳は傍目で眺めた人たちが同じ様にこれは盗品では在るまいかと猜疑の目で一瞥されるのかと思えば最早すべてが終わりでしょう。
美談もくそもあったものではない。
全て御破算、元も子もないことになりましょう。
此の手持ちのガラクタ同然の植木鉢はやがて時至らば主( あるじ)亡き廃屋と共にブルトーザーが地中奥深くに埋没して呉れることでありましょう。