老いのひとこと

イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4



元旦の朝、自転車に跨り初詣で先ずは禅ヶ峰神社を目指す。


雨合羽に身を包み坂道を漕ぐ、やがて自転車を押して山道を行く。


鳥居の近くに駐輪し73段の石段を登る。


電燈は灯るが辺りは深閑とし全く人の気配はない、さあ一番乗りだ。


いやそうではない、神殿の門扉は閉ざされてはいたが御神酒が一本既に供えてある。


先人が居たはずだが見当たらない無人の社殿に参拝す。


新たかなる心境いや増すばかり。


薄氷こそ張ってはいないが下りの足元には細心の注意をそそぐ。


欲張ってラジオ体操の会場を覗くが時間が過ぎていたようだ。


一気に馬替神社へ走らす、ハンドルを握る素手がめっほう冷たい、もう感覚を失っている。


施錠しようにも手がかじかんで自由が利かない。


乗りっ放しのまま拝殿へ急ぐ。


此処も誰もいないが門扉は開けられたまま、賽銭の転がる音が心地よく響く。


家にて雑煮で祝いしあと間を置かずして実は三つ目の初詣でが待っていた。


息子夫婦に連れだって倶利伽羅不動尊へ家内共々御伴する。


此処は真言宗のお寺さんであるが初詣での参拝客で溢れていた。


 


同じ神社仏閣なれど霊験あらたかさに斯くも大きな格差温度差があるものか些かびっくり致しました。


何せ御賽銭箱の前に長蛇の列、見たのは初めてでした。


 


多くの善男善女が護摩堂に静座し読経に合わせ護摩木を火にくべパチパチと燃えさかる火柱にうっとり見惚れる。


我らの悩みや災いを燃やし尽くす御祈祷が延々とつづく。


此れこそは霊験があらたかになろうはず往古の三蔵法師の頃からの慣わしとのお説教でした。


 


しかしそうとは言え参拝者の多寡とは関わりなし、当の本人の信心の多い少ないに本質があろう。


 


初詣でのはしごも悪くはない。