老いのひとこと

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野々市市の文化会館フォルテに前川喜平さんが来られると云うので行ってきた。


開催時刻に余裕をもって出掛けたにも拘らず既に満席でリハーサル室へ案内されてしまった。


来館者は優に一千名を超えたと云う。


異常なまでの盛況振りには何よりか此処に足を運んだ一人一人がみな驚いたことだろう。


此の遣り切れない暑さ同様に何かしら遣り切れない空ろな虚脱感とか圧迫感・窒息感ようなむしゃむしゃ感が辺り一面に覆い被さる。


それを一蹴し解き放つ清涼剤を皆がみな前川さんに求め期待を寄せて集まった。


嘘と欺瞞で煉り固まった国会にはもうウンザリ、もう何も言えない呆れたものだ。


長期政権の緩みとおごりがモリカケ問題に集約され極端な歪みをもたらした。


其の遣り切れない絶望感に似た無力感を此の前川喜平なら何とかして呉れようとみな固唾を呑んで登壇を待つ。


モニターテレビのレンズは弁士をクローズアップし音声も程よく実に聴き取りやすい。


 


 


論旨を100%理解し得る力はわたしにはない。


解からぬなりに解かったことが二点あった。


先ず一点は前川氏は改憲論者で在られること。


憲法で言う「国民」の意味は最早グローバル化が進み納税の義務を負う外国人居住者が定着した以上は堂々と改正して「国民」の表現を新たに定める必要性を切々と指摘なされた。


また、併せて性的少数者やヘイト問題も含めて話された。


もう一つは前川氏には直属の上司であった元文科省大臣馳浩氏への分別ある嗜みの弁が二度繰り返されたこと。


それには大いに納得をいたし頷いた。


また馳さんが夜間中学設立推進本部の旗振り役とは知りませんでした。


 


講演後質疑の時間があったがわたしなら政界進出の意思の有無その可能性を質してみたかったが何方も触れられることはなかった。


そこが少々心残りになる。