老いのひとこと

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真宗のお坊さんだから親鸞を褒め称え称賛なされて当たり前です。


今日のお話の主題は「道徳と宗教との違い」でしたがわたし如き宗教的無知と音痴の塊りにはどうしても手強かった。


はっきり言ってお話のとどのつまりが何処に在るのかはっきり分からない情けない。


お説教を聞き入る方々はそれ相応に佛の道に通じていらっしゃるのでみな頷き納得している。


 


端的にいじめとあおり行為を例に話された。


弱い者いじめは道徳的には人の道の反する行為として誰しも否定する。


ところが此のいじめに対しどうしても寄り添えない自分がいることに気付く。


自分の中にも他人をいじめる心が不可抗力的に内在することを知り激しく悩むのだという。


でも親鸞さんは此の悩みを決して救おうとはしないのだという。


親鸞はそのような差し出がましいことはしないとおっしゃる。


では誰が此の悩みを救うのかと云えばそれはやはり阿弥陀様にほかならないと云わんと為される。


結局とどのつまりはそう云うことになる。


あおり行為もまた然り、人であれば誰しもがあの人でなしの心を秘かに内在させるのだという。


だから道徳的には当然否定されるが宗教的には或る意味肯定せざるを得ないことになる。


つまりは親鸞悪人正機説≪善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をも≫に相通ずることになるのでしょう。


無知と音痴の塊りにはなかなか難しくて無い頭が益々こんがらがるだけではないか。


今日のお坊様は親鸞の教えと阿弥陀の慈悲を説かれた。


有り難い善きお話であったではありませんか。


 


しかしお話のとどのつまりが今いちすっきりしない。


佛をないがしろにする不埒なヤツなのです。