色んな趣味の持ち主がいる。
ところが仕事に追われ生活に追われて趣味どころではない御人も確かに居られよう。
でも仕事をば自分の趣味に仕立て上げればそれ程見上げた快挙はない。
此のわたし如きは有象無象に適当に生きて来た。
何一つとして極めたことも仕留めたものをも持ち合わせない。
好い加減な奴ではあるがそんなわたしの脇にいつも寄り添うのが剣道と居合への遊びごころに違いない。
とは云うものの賞状の一枚とて手にした事のない無冠の落武者に過ぎなかろう。
其れでもおのれの弱きこころを切り裂きおのれの邪まなこころを切り捨てる元祖心流を自負いたすのです。
迷いや誘い、諸々の内憂外患に剣尖の攻め鋭く飛び込み技、出端技で仕掛けます。
更には摺り上げ抜いて返して応ずるのです。
外敵迫れば三方切、四方切、総切りにて処するのです。
此れらは剣技であっても実は剣技ではない。明らかに此れらは処世術であり処世訓そのものに違いないのです。
此の世に身を置けば我が身には四方八方から多事多難が次から次へと降り掛り降り注ぎましょう。
其の局面に抜かりなく応じ躱す対応策が求められましょう。
我が身に襲い掛かる諸々の困難に如何様に対峙するのか。
其処には無意識的に剣道と居合の術が活かされているはずです。
賞状を一枚たりとも手にしたことが無くても
わが身に襲い来る荒波を処していくだけの術を有り難くも剣居道の精髄の中から頂いているのです。
此の齢まで続けて来てよかったとつくづくそう思うのです。