老いのひとこと

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県民大学の大学院の文学講座を聴講する。


さすが大学院はレベルが違う。


気品高い高尚な文学論が展開される。


 


ポケモンを知らないものが神出鬼没な獣人たちの世界にとぼし込んだに等しい。


わたしは行き成り異次元の世界で異次元の言語を耳にしたも同然戸惑うばかり。


室生犀星に深く関わる堀辰雄福永武彦は郷土所縁のえんじょもん文士さんに違いない。


此の二人のえんじょもん作家の鮮烈な生き様をまざまざと思い知らされた。


やがて必ずや訪れるであろうわが終焉の時に備えて恐れながらも其の一助と致さねばならない。


さっそく図書館にて「風立ちぬ」と「草の花」を借り受けて来た。


 


人が灰になっても誰かが其の灰になった人の仕草や話しぶりや七癖のようなものを覚えているかぎりその人はなお生きている。


しかし遅かれ早かれ誰からも顧みられなくなれば決定的な死を迎える。


そうならないように今に生きる生者は死者の記憶を日々新たに更新し死者の生命を呼び戻そうと試みることは今に生きる生者の当然の務めであると福永武彦は「草の花」の中で指摘する。


作家福永武彦はクリスチャンであったと同時に此れは明らかに仏徒( ぶっと)でもあったと云うことなるのでしょうか


 


暫しお暇を戴き、骨を休め、命の洗濯に孫の下へ行って参ります。