老いのひとこと

 

戦時中、池田町に居た頃には裸足はへっちゃらだった。

勿論アスファルトは竪町通り以外は砂利道だったはずだ。

また菊水時代の山っ子たちも裸足を慣わしにして生活の一部であった。

 

しかし今や素足では一歩たりとも歩けはしない。

足の裏がひ弱になり至って脆弱化してしまったものだ。

足の裏が都会化に順応し劣化し余りにもお上品になりすぎました。

 

専ら此の愛用の草履にてまがいものの修行者を気取り居る。

 

 

図らずも此の遊具の無償提供に与かり得たことは此の上ない喜びと致さねばならない。

但し、針の筵の上に立つ確たる覚悟と腹構えがなければ此の激痛には耐え切れまい。

解説板には転倒防止のため必ずや手摺りを使用すべしと注意が喚起される。

 

 

しかし、此の欲張り爺さんは自立自尊の気とバランス感覚を養わんと両手を離してみたり更には足の裏だけではなく脳味噌にも異なる刺激を求めて生活人新書版「国語力アップ400問」をぺらぺら捲りながら上下双方から挟み撃ちで攻め立て居る次第だ。

 

程よい疲労感を小3の孫とのメール交信で元気をもらいながら平然と好々爺に成り済まし居る。

 

 

老いのひとこと

 

セイタカアワダチソウのシーズンの真っ只中にもかかわらず一時の盛況さがない。

かましくも原野が独り占めされ、あのけばけばしくも毒々しい花の色で辺り一面が埋め尽くされた。

どうしても此の花だけは切り花にして花瓶に差す気にはなれなかった。

嘗ては額四峠の群生地から花後の直立した茎を採取しすだれにしたり畑で支柱の代用にかえたりしたこともあった。

ところが此処近年は様相が一変しあの原野を塗りつぶし蹂躙したどぎつい赤黄色が姿を消した。

しかも遠慮がちに矮小化してしまったのがまばらに生きている様ではないか。

 

一説によれば此の植物の根っこに宿す強烈なる毒性が他の植物を駆逐し一時は我が世の春を謳歌するのだがやがて其の毒性が御身にまで及びおのれ自身が消え失せる宿命を帯びるのだと云うのです。

今年は丁度その狭間に在るのでしょうか。

大自然の輪廻を思い知らされる。

 

盛者必衰のことわりと申しましょうか、ブーメラン現象は政治の世界だけではなさそうだ

 

 

老いのひとこと

あすなろ公園で二つの用件を済ませ家路に付いた。

額新町の交差点の直ぐ手前の小路から杖を突いたご高齢の奥方が出て来てわたしの前を行く。

信号を渡りきりフラワー薬局の方へ歩みを執られた。

わたしは其の数メートル後ろを行けば角の自動車修理店から乗用車が一台後ろ向きにハンドルを右に切りながらゆっくり下がり始めた。

わたしはてっきりミラーに映る歩行者に注意しながらバックしているやに思いきや一向に止まろうともせずに車は音もなく動く。

わたしはとっ拍子もなく有らん限りの声で何かを絶叫した。

ハンドルを握るドライバーと杖を突く奥方の双方に訴えた。

歩行者が倒れる寸前に車は止まった。

事なきを得た。

人身事故が未然に免れた。

矢張り運転席には高齢者か、やれやれ助かったとわたしに照れ笑いを浮べる。

奥方は腰のあたりに手を遣り軽く当たったのですよ、助けてくれてありがとうございましたと頭を下げて呉れたのでした。

 

此れ決して他人事ではない、他山の石としてしっかり肝に銘ぜねばならない。

 

 

 

老いのひとこと

はしたないことながら朝起きてから水道水をがぶ飲みする、それは便通を促すための苦肉の策になる。

 

また9時頃にお出掛けに際し水分補給のため此処でも鱈腹呑み干す。

そしていつものコースを辿りタカちゃん横の踏切を渡るころにはそろそろ生理現象を催す頃と相成りいそいそとあすなろ公園内のトイレへと急ぐのです。

 

其処は近くの園児が日向ぼこしたり近隣のお年寄りたちの恰好のゲートボール場でもある。

見上げれば電線のない天空が広がる絶好の憩いの空間なのだ。

天を仰いで背伸びをして腰痛を癒すのです。

更に此の公園には実に面白い老人用遊具が在って暫し時を忘れる。

足の裏の血流を促すための石畳みだがそれが尋常ではない此れ拷問かと思うほど痛い、兎に角立って静止することが敵わない。

嫌というほど強烈なる刺激を甘受しながらおのれに喝を入れてみる。

 

極力此の石踏み鍛錬を余力ある限り日ごと励行いたさねばならぬと密かに誓った。

 

 

 

老いのひとこと

運動機能の劣化退化は歳相応に見事に進化する。

偶にYシャツに腕を通せばボタンを懸けるのがたどたどしくも捗らない。

ズボンならふら付きながらも辛うじて穿けるのだが下手をして転倒しオデコを打つだけで済めば良いが骨折沙汰になれば笑いものだ。

靴下はやばいので何かに寄り掛かるが身を屈めるだけで重労働感を覚える。

 

またスピード感覚が可笑しくならないようにと時折ハンドルを握る。

或る時秋の陽射しを浴びながら指パッチンを試みる。

取り立てて気分が乗っていたわけでもないが右手からは心地よい音色が耳元にそよぐ。

ところが此れどうしたことか左手がまるで麻痺したように親指と人差し指の接触すらままならない出来ないのだ。

狼狽えました運転操作中なので尚のこと少しく気が動転しかけた次第だ。

スピードを緩めてグーパー運動を繰り返し指の柔軟性を求め本気で訓練に努めた。

車中でなくとも行う場所が違いはしないかと思いつつも練習した。

何とか様になったが音なしだった。

翌日密かに試してみれば少しく音が出たではないか。

学習効果があったようだ。

少しく嬉しくなった。

 

でもどうしても薬指からの音色を出せない。

たかが指パッキンされど指パッキン

此れ体機能のバロメーターなり。

 

 

老いのひとこと

剣道のお面に挑んだ。

縮尺何分の一か全く不明、兎に角厚紙を適当に組み合わせ簡単なミニチュアセットを作った。

従って寸法も当てずっぽで好い加減過ぎよう。

元々ぞんざいな性分ゆえ辛気臭い細かい作業はえらく往生してしもうた。

腰がやめるし手が震えおるし目がしょぼついて霞んで見えるようでは悲しいかなおのれの限界を知らされた。

取り分け面がね作りに難儀した。

14本仕立てには参らずお子様向きの12本で降参した。

おまけに均一な細き紐を作った筈だが見事なるバラバラ行列ではないか。

いやいや寧ろ手捻り感が味わい深く満更でもなさそうだ。

ただ惜しむらくは面布団が寸足らずで物足りない、安定感を著しく欠くではないか。

突き垂と用心垂は用心深くドべで接合した筈だ、落ちないで欲しい。

 

残念だが面紐まで施す余裕はなかったが此の作品は我が技量の集大成と云っても好かろう。

苦労多かりしがいと楽しけり。

 

 

老いのひとこと

古城の石垣もいつかは朽ち果てよう。

老いた松はやがては立ち枯れしましようぞ。

いつまでも永遠なるものは此の世にはない。

 

人の心も変わる、決して不変ではない

信頼しきった心の絆も音もなく何の前触れもなく千切れ去る。

心変わりは世の常、人の常。

嗚呼、無常。

 

寂しい限りだ。

残念無念。