老いのひとこと

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憧れの「一太郎」には手が届かずPC88を駆使して「春望」に命がけで望みを託した。

全くこの手のIT世界は無知そのもの今から思えば無謀なる挑戦であった。

15の春を謳歌すること敵わず息子は1985年6月14日市祭の当日に「雷鳥」の人となり一人大阪へ旅立った。

其の日を期してわたしは心の支えのワープロ文を此の「春望」に託して死に物狂いでキーボードにしがみ付き打って打って打ち捲った。

毎日綴った、投函は数日置きであったと覚える。

風呂に入ったか飯を食ったかと「さだまさし」の歌詞の通りをそのまま書き綴った。

その甲斐在って息子は大阪にて大成し今や一男三女に恵まれ高層マンションの27階に居を構え煌めく夜景を眼下にいたす。

何よりも素晴らしい伴侶を得て苦楽を共に一家を支えている。

 

終活に当たり身辺を整理いたせば古き30数年むかしのフロッピーデスクが数枚出てきた。

今や読み取る術とてなくあれこれ思案の末に若しや電器量販店で救われはしまいかと持ち込んでみたがやはりムダな行いにすぎなかった。

いや、読み取り機器が無くて返って好かったではないか。

仮に今それが甦ったとして其処に何のメリットがあろうや。

 

むしろ、ムダの山を築き役立たずの人生を歩みし此の老生に嘗て30数年むかしに作成したMEMOREXminifloppydiscが彼の人生に僅か数ミリだけでも寄与していたとするならば紛幸の極みと言えるのです。

皺多き折れ曲がった指先で改めて其の感触をそっと温める。