2022-02-07 老いのひとこと 馬替地内に差し掛かる辺りにわたしが日々崇拝する鷹山灯籠があるのだがそのご邸宅の一角に一匹の番犬が飼われている。 最初の頃はよく不審者に見立てられ吠えられたものだがとにかく愛想も素っ気もない恰好の番犬が居たものだとつくづく感心した。 此処のところは流石に吠えたてられることは無くなったのだが相変わらずに愛想むないヤツなのだ。 性質に似付かわしくない名前が可愛いポチなんだが幾ら呼んでも振り向くことすらしない、全く可愛げのない犬なのだ。 ところが此処最近になって少しく態度に変化が覗われるようになった。 音もなくわたしが通り過ぎようと致せば引き戸の陰に隠れていたポチが鎖を引き摺りながらお姿を見せてくれるようになった。 次の日も又その次の日も、日によっては首を出して虚ろな視線ながらも間違いなくわたしを一瞥する仕草を見せて呉れるようになったではないか。 また或る日には小雪舞う薄寒い日にも関わらず外の芝生に蹲るポチがわたしとして知ってかどうかは判らぬもヌクット首をもたげてわたしと気付くや直ぐに視線を外すもののやはり生き物同士の気心が微かに通じ合う生暖かいテレパシーを感じ取る嬉しき一瞬だった。 気前よく尻尾を振る日を期待してはいけない。 せめてビスケットの一枚でも与えてやろうかな。