老いのひとこと

元旦の朝は時雨模様ながらも雪がなく風もない初詣日和となった。

 

今年も俱利伽羅不動尊でお詣りした。

路上にも駐車する程車の台数はとても多かったが本殿での参拝者は意外と少ない。

大方の皆の衆は何処へ参られせしものかと勘繰ったりもする。

祭主からの祈祷を授かる事より燃え盛る護摩の炎の火柱にひれ伏し祈りを捧げる。

我が身の我が煩悩を恰も薪を焼べるかのように我が右手に捉え炎の中へ投げ捨てた。 

その間三十分強正座の姿勢崩さず行に耐え抜いた。

忍耐力というご利益を諸に授かりたく今年も参ったことになる。

マイクを握る祭主から年頭のご挨拶は遺憾ながら一言たりとも聞き取れない聾者同然。

恐らくは此の不動尊の口からもウクライナ民衆への愛の叫びが声高らかに発せられたものと確信するしかない。

 

身のこなしと仕草からコマーシャルもどきの発言には些か幻滅感を覚えてしまったが荘厳なる太鼓と鈴の音が耳には残る。