老いのひとこと

今日も雲一つない絶好の日よりであったが無念ながら我が胸中は暗雲に閉ざされた。

例の如く無心で石踏みに興じて居れば何となく園児たちの気配に気付き目を上げれば手押し車に乗った年少組のお通りだ。

其の折に機転を利かせわたしから声掛けを致せば良かったのだが生憎足裏に意識が行って見過ごした。

園児たちは不機嫌な顔をしてみな無表情、

おまけに前と後ろの二人の保育士はあたかも蝋人形のように押し黙ってわたしの直ぐ真横をツンとした表情で通り過ぎた。

通り過ぎたのを確認してからわたしは咄嗟に「おはよう」と威勢よく声を発した。

「好いお天気だね」とつづけ「ご挨拶しましたよ」と付け足した。

 

本当は「挨拶ぐらいしたらどうなんですか」と嫌味っぽく言いたかったがグッと抑えた。

此の素晴らしいお天気をみんなで共有し合い、そしてお互いに地球上に共生し合う仲間同士なら会釈の一つぐらい在ってもよかろうに皮肉っぽくそう思った次第なのだ。

幼児教育の当事者ならば幼子たちに挨拶することの範を示す絶好の好機によくぞ知らぬ存ぜぬ他人行儀面ができたものだ。

がっかりだ、此れではダメだ。

瞬時にして暗雲が垂れ、此れぞまさに少子化現象の遠因たり得ると勘繰った。