2022-12-16 老いのひとこと 公園の奥まった箇所には近くの園児たちが円陣を組んで外遊びに興ずる。 わたしは何時ものように片隅の石畳の上で一人遊ぶ。 或る種の修行に似た心境で無心で打ち込めば遠き彼方に居た筈の幼児たちのざわめきが何となく耳元近くで聞こえる。 今日の吾輩の聴覚良好なりと視線を動かせば何んと驚く勿れ無数の可愛い園児たちに取り囲まれているではないか。 耳がよく聞こえなかったばかりに全く気付かなかった。 純真なる子どもたちには殺気などある筈がない、気付かなくて当り前だ。 みな口々にわたしに向かった何か訴えかけるがよく聞き取れない。 痛くない、冷たくないかと口にするのだろうが判らない。 唯一聞き取れたのは真剣な目で「今日はパパがお迎えだよ」懸命に語り掛ける。 きっと保母さんたちは聖徳太子のような聡明な耳の持主たちなのだろう。 不愛想な髭ずらに真剣な眼差しで語り掛けて呉れた、嬉しかった、元気をもらった、有り難い感謝の気持ちで一杯だ。 帰り際には二人の子が追い駆けて来てわたしに向かって如何にも名残惜しそうな表情でバイバイの挨拶をしてくれた。 嬉しさが再び込み上げる。