老いのひとこと

昭和10年11月1日に金沢市殿町21番地の産院にて出生、

以来88年の年月を経た。

 

幼児の頃疫痢に罹り親爺の背中に抱かれ真夜中に片町松田小児科に担ぎ込まれ九死に一生を得た。

また小3時の通信簿には栄養不良に付き要注意、備考欄には要養護と記載、身長119cm体重20.4kgの虚弱児がよくぞ命永らえたものだ。

父と母からの深き恩義に頭が下がる、それ故に蔑ろには出来ない親から授かった生命を神が許す限り護り通さねばならない。

 

併せて58年間、色々紆余曲折は在ったにしろ兎に角長い間世話になったものだ、其の家内のお蔭であろう。

家内は古式に則り蒸し器にて赤飯を焚いて祝って呉れた。

先ずはおぼきさんに盛って仏壇に供え忠勝ととしにお伝え申した。

 

傘寿と米寿の内祝として実弟・義妹・長男・次男の元へ届けた、三男へは郵送の手間を省いて割愛した。

大阪の孫たちから心温まる祝意が届いた、祝ってくれてありがとう。

 

家内81と88を合せれば169、此の数字が1でも2でも上乗せできるそうに共々より精進いたさねばならない。