老いのひとこと

校下の文化祭の折に秋の草花を題材とした生花展をしばし観賞したのだが、彩りを添えるお花も然ることながら矢張り此のわたしにはどうしても花器の方に目がゆく。

其の中でお気に入りの一点をカメラに納め、今回は其れを拝借しそっくり真似てみることにした。

前以って段ボールを切り抜いてミニチュアセットを作り、5つのパーツに分けた型紙を更に作り、それらを5ミリのたたら板に載せて切り抜く作業は最早お手もものだ。

次いで接合箇所を弓にてカットしいとも簡単に仕事を終えた。

 

車も初心の折には極めて慎重な操作に集中し決して事故を起こすことはない。

まさに陶芸にも同じことが言えるのです、慣れの境地で調子に乗って作業を終えたものの本日は大失敗を仕出かすに至ったのだ。

安易に接着面を作ったが故にドべを塗った時点で全て無効で接着出来ないことに気付いた。

万事休すだ、全てが水泡に帰す事態におのれに腹を立てた。

諦めかけたのだが、「ヨシ、ヤケのやんぱちだ」接合面を無視して強引にドべを塗り手繰って指先で押さえ付けて見た。

粘土はわたしに従順に応してくれた、粘土は全面的にわたしの味方となり欲求通りに従って呉れたではないか。

曲がりなりにもそれらしき物に仕上がって呉れた。

 

だから陶芸は止められない、此れほど面白いものは無い。

 

 

翌日、成長の家の家訓に目を遣れば「美の源泉は魂に在る」「自ら喜んで行えば困難は困難ではなくなる」とあるではないか、思わず吹き出してしまった。