老いのひとこと

春めいた陽気です、石踏み公園ではウインドブレカーを脱ぎ棄てマフラーも毛糸のセーターもかなぐり捨てる。

用を済ませ脱いだものは腰に巻き付けお帰りだ、枯れ枝のような楓並木の小梢にもほんの僅かに若緑が差す。

色弱者なるが故に芽吹きの色を殊更敏感に渇望するのかも知れない、間違いなく春到来を告げている。

高橋川河畔に出でれば動くもの在り、紛れもなく例のカモたちではないか上流へゆっくりと遡上中だ。

逃げ去る気配なく悠然と泳ぐ、三羽の親子か三姉妹か素人目には分からない。

大きいのは側面の翼全体に白色が目立つが他の二羽は胸毛だけに限られる、純白ではないことははっきりした。

頭部の艶やかな漆黒の羽毛は自然なる生態が創りだす業だ、形容し難い美しさだ。

グランドでは少年たちが野球に興ず、女の子たちもなかなかの球技の持ち主ではないか。

マシンの球の打撃練習、「よく球を見給え」「力んではダメ」「ヘッドアップだよ」「おお振りはよせ」「ピッチャ返しだよ」とコーチャー気取りでぶつぶつ独り言をつぶやく。

折角の菊咲立金花がゴミと同居する、金色の花が可哀想だ勿体ないなあ。

わたしにはゴミを拾う気力も体力ももうない。