老いのひとこと

       無断掲載

富の偏在、富の格差も然ることながら人間の知的能力の大きな隔たり、その格差に驚きの目を注いだ。

偶々テレビで明治初期の智の巨人、牧野富太郎南方熊楠という驚くべき奇才たちの智識の宝庫を垣間見たのです。

と申すより、わたし如き凡人には理解伴わず余りも高度な知識・識見には正直手も足も出なかった。

それでも判らぬなりに自ずと画像に引きずり込まれ90分間固唾を呑んでしまった。

取り分け、「粘菌」に注目した、見たことも聞いたことすらなかった「粘菌」に何故かしら目が奪われた。

其の訳は、ブログ上のT氏から得た知見の一つが此の「粘菌」そのものだったのだ。

植物でもないキノコやカビでもない況してや動物でもない「粘菌」という特殊な生物に光を当て生涯を捧げた人物が南方熊楠に他ならない。

植物分類学の第一人者牧野富太郎には「粘菌」で世界的脚光を浴びる南方熊楠の存在は極めて目障りで冷たくあしらうしかなかったのだと云う。

富太郎にとっては下等植物に過ぎぬ菌類のしかも其の亜流の「粘菌」には目を背けるしかなかった。

 

でも此のご両人の鎬を削る熾烈な競争意識が更に相互に刺激し合い切磋琢磨し合って二人の研究成果はより一層深化していったのだと云う。

 

兎も角、此の熊楠は此の「粘菌」の探究から生命現象の原基を捻出しようといたのだという。

そして、今や現代の生物学では此の「粘菌」の探索により生物界の知性活動の原基を究明せんとしているのだという。

つまりは此の「粘菌」研究はコンピュウターサイエンスや人工知能研究の一翼を担う一大プロジェクトにすそ野が広がりつつあるのだという。

よく判らぬなりに難しい勉強をしたものだ。