老いぼれへぼ教師の回想記《3》

此処で私は一体何を言いたいのか。
食い物にかかわる何やらは一生忘れないということなのか(些細なことだ)、九死に一生を得た命の恩人に対し敬虔なる配慮をいたすべきという事なのか(当たり前の事で当然過ぎよう)、それとも分別を怠った若気の過ちを悔いているのか(穴があったら入りたいところ)、または無謀とは知りながらも何かに挑戦を試みる心意気を若者の特権として主張したいのか(小さき存在のわたしにとって持ち得る唯一の武器)極めて曖昧だ。
でもわたしの心中には今以ていかに老いぼれようが何かに挑戦を試みようと企む心意気だけは絶やさないように生きているのかもしれない。
守田光輝氏は、その後高尾台中にてもご一緒したが、やがて小学校の管理職の道を歩まれ大成為された。



後高越え

 昨夜来の新雪は、全てを純白一色に塗りつぶし、抜けるような青空との二色の単調なるコントラストが実に素晴らしい。見るものすべてが綿帽子をかぶる。
 当日の天候は申し分なく疑う余地なし。登攀中の著しい発汗を予測し、極力厚着を避け、下着の上に厚手のシャツ一枚と、その上に登山用の木綿製のヤッケを羽織るという極めて軽装にとどめた。
 携行品は、リュックの中に巨大な握り飯二個と着替えの下着にスキー靴を入れた。ヒッコリーのスキー板一式をかついだ。私は冬の山を知らなかった。
 昼過ぎには、獅子吼高原の南沢ゲレンデで一滑りすることを目論んだ。
これは余りにも軽率すぎはしまいか。偉大なる大自然を侮る、これほどの暴挙が果たしてあろうことか。
 若気のいたりとはいえ、全てが甘かった。無謀に等しい愚挙だとの長老たちからの謗りや忠告をも顧みることなく、決行に及んだ。守田光輝氏が同行した。
 降雪量は意外と深く事の外軽い。カンジキがあっても胸近くまで沈む。吹き溜まりによろけて足を踏み外すと全身が埋没した。
 夏道を避けて、山頂目指し一直線に突き進んだ。肩にのしかかるスキーのテールを振ってのラッセル、空いた方の腕の力を振り絞ってのラッセル。喘ぐような緩慢なる動き。時の動きだけが容赦なく刻む。
 案の定、相当量の汗を意識する。何分、そこにあるのは一途な自我と若き肉体が存在するだけのことだった。
 程なくして、眩いばかりの陽光が次第に蔭りはじめ、一陣の突風がよぎる。山頂に近いせいだろうと軽い判断をした。  目を凝らすと、嶺の稜線には暗雲が飛び走り、ガスがあたり一面を覆い始めた。
 横なぐりの風と化し、雪が混じり顔面を刺した。間違いなく、疲労度が高まったことを自覚した。
早目の昼食が最良と判断し、一つ目の結び飯をむさぼった時、近くにいた守田氏より飯を落としたとの訴えが耳に入る。躊躇することなく、私は残ったもう一個を彼に手渡してしまっていた。その時は、それがそれほど迂闊なこととは思わなかった。
 間断なく、季節風が吹きすさび視界をさえぎり、呼吸すらおぼつかない。体温の低下を実感する。風雪と発汗で濡れたヤッケはバリバリに凍りついた。
 大陸からの冬のモンスーンの直撃は体感温度を氷点下一〇度C近くにまで下げた。
 しまった、まずいぞ。明らかに失態だ。これは、取り返しのつかないこととなる。とにかく、急がねばならぬ。焦燥感のみが一人走りする。
 山頂に出たようだ。雲と風の切れ間に、一瞬南沢ゲレンデが視界に入った。
しめたと思ったのも束の間、日本海を渡る厳冬の疾風が思い返したように、また猛然と襲いかかる。荒れ狂う。天の怒り。最早、私には正常なる判断力は失いつつあった。
山小屋に火を放ち、獅子吼の高原ヒュッテに急を告げる以外の方策はない。我が命が危いことを直感した。空腹感も極限にあった。リュックの中には握り飯は愚か、血眼でマッチを捜してみたがついぞ見出すことはなかった。
 気は朦朧とし、うつろな眼で死を見据えていた。いか程の時の経過があったのか。その時、激しい口調で『タカハシ、何をしてるんだ。俺についてくるんだ!』―  守田氏の怒声で我に返った。
 鶴来の八幡駅に辿り着き、待合室の石炭ストーブが、殊の外暖かかったことを思い出す。
娑婆への帰還を果たせた歓びがひしひしと全身に伝わった。父親が鶴来署への捜索願を平身低頭して取り下げていたことをほろ苦く思い出す。
 若気のいたりとはいえ、武藤清三校長より大目玉を頂戴したことも偽らざる事実だ。親の目の前でなんとも気まずい思いだった。        つづく