下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《3》

何か得体の知れぬ魔物が政権交代劇の開演を告げたのだが、三文役者のドタバタ劇を見せ付けられ皆げんなりして幻滅感のみを味わされた。
武士に二言はないと言うではないか。余りにも言葉が軽いのです。切腹を免れた代わりに自ら政界引退を決意したかに見せて置きながら見事民意を欺いたではないか。
情け無いの一語だ。
「自己犠牲」と「無私」とは無縁なる日本人であった。寂しかった。侘びしかった。虚しかった。悲しいことであった。
そういう政治家を選択した日本人に空しさを痛感した。わが身自身がいやになった。少なくとも夕雲とは無縁な人物なのだ。


鳩山民主が政権交代を成し遂げた。戦後一貫して続いた保守政治に鉄槌が振り落とされた。
歓喜の声がこだまし、歓呼のどよめきが列島を縦断した。
新生日本の誕生を、多くの無党派層をも巻き込んで国民大多数が祝福し合い、互いに夢と希望とを結合し将来に託した。
処が、豈図んや甘い幻想は露と消えた。われらが宰相鳩山由紀夫には武人としての才覚が皆無に等しかった。
わが生命を賭して、国家国民のために無私の境地にて自己犠牲の精神を発揚する雄雄しき心意気が皆無であったのである。
夢と希望を高く掲げた国民を欺いてしまった。
 彼には先見の明が皆無であったのだ。先先の先を観透す眼力が皆無であったということだ。彼には武人としての才覚がなかった。
 あれでは、如何に高邁なる理想と理念を掲げてみてもオバマと対等に対峙し亙り合うことは敵うはずもない。
 あの虚ろな澱んだ眼差しからは多くの真の日本人の気概を奈落の底へ蹴落とす結果だけを惹起したのだ。
われらが宰相に猛猛しい武士の叡智が何より慾しかったのだと、われら俗人たちは声高に叫んた。
確かにその通りではあったが、もともとそれより先にわれらが宰相は宇宙人であったことを忘れてはいまいか。
然すれば 、宇宙の真理に根付いた天の理を展開すれば人類の恒久平和・闘争無き理想郷が近未来には到来することを、ひょっとして彼ならば見事に予見していたのかもしれない。
常時駐留なき安保論とか普天間の国外少なくとも県外移設論は近き将来において悠久の真理を見事に呼び込んだ歴史的名言として高く評価される日がやがて到来するのかもしれなかった。
そうであってほしいと淡き淡き微かな夢を託すしかなかった。
嘲笑の権化と化した“ trust me ”も先を読んだ名言であってほしいと秘かに願ったのだが、後刻神が真実のすべてを暴いたのだ。
学べば学ぶほどに米軍の抑止力という威光に気が付いて、辺野古移設案に復帰する以外に手がなかったと、沖縄県民のみならず政権交代の夢を託した全国民を見事に欺いてしまったのだ。
それのみならず、事もあろうに彼の前宰相は米軍抑止力云々の下りは、わたしの信念ではなく方便であったのだと吐露していまった。
何をかいわんや、呆れ果ててものをも言えない。
長きに渡り培われた武人の魂今何処、正義感も勇武の精神も礼節の欠片も謙譲の美徳も廉恥心の何たるかも知らぬお金持ちのお坊ちゃま、まさに切腹物の大失態なのだ。
混迷と混濁の窮みに陥った政権交代内閣は菅直人に託されたが無残にも、この人も凋落の一途を辿るだけではないか。最早明日をも知れぬ末期症状に至ってしまった。