老いのひとこと

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連日のように雪崩遭難の痛ましいニュースが流れる。


責任者の判断ミスが元で尊き若き命が犠牲となった。


ところが何ら冷静さを失うことなく平然と会見に応ずるあのお姿はわたしには全く解せない。


言訳の弁は要らない、自責の念に駆られ言葉失い絶句あるのみではなかったのか。


のみならず、登山計画をラッセル行軍へ変更指令は現地の雪上ではなく遠隔操作であったという。


最高責任者の判断ミスが結果として重大な事故に連なった。


図らずも新田次郎の「八甲田山死の彷徨」での青森第五連隊長の判断ミスと重なり合った。


 


雪山を侮ってはならぬ。


斯くなる至言をド素人が軽はずみに口にしてはならぬ。


そんな資格は此のわたしには微塵もない。


冬山を知らぬものが冬山を語ってはならぬは当たり前なのだが此のわたしに思い当たる節が一つだけあるのです。


 


それは昭和35年の正月、正確な日にちは記憶にない。


当時の勤務地菊水分校を出発し後高山の山頂を経て


鶴来の八幡へ至る冬山越えを敢行した。


知識も経験も何もないずぶの素人が敢えて暴挙に挑んだ。


菊水町の標高は298mで後高山は648.8mなので其の標高差は350mになる。


当時の気象記録を紐解けば観測地点の堂町で1943年2月23日の最深積雪3m40cmとある。


菊水は堂の奥地に位置し600mを超す山中なら推して知るべし。


若気の至りとはいうものの非常識極まりない滅茶苦茶なのとを仕出かしたものだ。


よくぞ雪崩を免れたものだ。


まさに九死に一生を得たことになろう。


背丈以上に立ちはだかる雪の壁をのけ反り切り開かねば前へは進まない上へは登れるはずがない。


ラッセルの連続です。


山頂への最短コースをとり一直線にラッセルするしかなかった。


 


当時の体験記を此処に再度掲載す。


 


後高越え

 昨夜来の新雪は、全てを純白一色に塗りつぶし、抜けるような青空との二色の単調なるコントラストが実に素晴らしい。

見るものすべてが綿帽子をかぶる。
 当日の天候は申し分なく疑う余地なし。登攀中の著しい発汗を予測し、極力厚着を避け、下着の上に厚手のシャツ一枚と、その上に登山用の木綿製のヤッケを羽織るという極めて軽装にとどめた。
 携行品は、リュックの中に巨大な握り飯二個と着替えの下着にスキー靴を入れた。ヒッコリーのスキー板一式をかついだ。

私は冬の山を知らなかった。
 昼過ぎには、獅子吼高原の南沢ゲレンデで一滑りすることを目論んだ。
これは余りにも軽率すぎはしまいか。

偉大なる大自然を侮る、これほどの冒涜行為があろうことか。
 若気のいたりとはいえ、全てが甘かった。無謀に等しい愚挙だとの長老たちからの謗りや忠告をも顧みることなく、決行に及んだ。

M氏が同行した。
 降雪量は意外と深く事の外軽い。

カンジキがあっても胸近くまで沈む。

吹き溜まりによろけて足を踏み外すと全身が埋没した。
 夏道を避けて、山頂目指し一直線に突き進む。

肩にのしかかるスキーのテールを振ってのラッセル、空いた方の腕の力を振り絞ってのラッセル。

喘ぐような緩慢なる動き。

時の動きだけが容赦なく刻む。
 案の定、相当量の汗を意識する。

何分、そこにあるのは一途な自我と若き肉体が存在するだけのことだった。
 程なくして、眩いばかりの陽光が次第に蔭りはじめ、一陣の突風がよぎる。

山頂に近いせいだろうと軽い判断をした。  

目を凝らすと、嶺の稜線には暗雲が飛び走り、ガスがあたり一面を覆い始めた。
 横なぐりの疾風と化し、雪が混じり顔面を刺した。

間違いなく、疲労度が高まったことを自覚した。
早目の昼食が最良と判断し、一つ目の結び飯をむさぼった時、近くにいたM氏より飯を落としたとの訴えが耳に入る。

躊躇することなく、私は残ったもう一個を彼に手渡してしまっていた。

その時は、それがそれほど迂闊なこととは思わなかった。
 間断なく、季節風が吹きすさび視界をさえぎり、呼吸すらおぼつかない。

体温の低下を実感する。

風雪と発汗で濡れたヤッケは板状にバリバリに凍りついた。
 大陸からの冬のモンスーンの直撃は体感温度を氷点下一〇度C近くにまで下げたことだろう。
 しまった、まずいぞ。

明らかに失態だ、命が危うい。

これは、取り返しのつかないこととなる。

とにかく、急がねばならぬ。焦燥感のみが一人走りする。
 山頂に出たようだ。

雲と風の切れ間に、一瞬南沢ゲレンデが視界に入った。
しめたと思ったのも束の間、日本海を渡る厳冬の疾風が思い返したように、また猛然と襲いかかる。

荒れ狂う。

天の怒り。

最早、私には正常なる判断力は失いつつあった。
山小屋に火を放ち、獅子吼の高原ヒュッテに急を告げる以外の方策はない。

我が命が危いことを直感した。

空腹感も極限にあった。

リュックの中には握り飯は愚か、血眼でマッチを捜してみたがついぞ見出すことはなかった。
 気は朦朧とし、うつろな眼で死を見据えていた。

いか程の時の経過があったのか。

その時、激しい口調で『タカハシ、何をしてるんだ。俺についてくるんだ!』―  

M氏の怒声で我に返った。
 鶴来の八幡駅に辿り着き、待合室の石炭ストーブが、殊の外暖かかったことを思い出す。
娑婆への帰還を果たせた歓びがひしひしと全身に伝わった。

父親が鶴来署への捜索願を平身低頭して取り下げていたことをほろ苦く思い出す。
 若気のいたりとはいえ、武藤キャップより大目玉を頂戴したことも偽らざる事実だ。

親の目の前でなんとも気まずい思いだった。