老いぼれへぼ剣士の夕雲考《37》

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「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」先生は理念を地でゆかれた
 
小川忠太郎範士は、笹森順造先生より小野派一刀流を、また石田和外先生より無刀流を、更に加藤完治先生より直心影流・法定の形を学ばれたそうである。
その上に、鎌倉円覚寺ゆかりの釈宗活老師と立田英山老師より禅の蘊奥を極められ、無得庵の庵号と刀耕の道号を授けられていらっしゃる。
剣禅一如を地で行く人なのである。
なお、鎌倉円覚寺ゆかりの釈宗演老師は鈴木大拙と深き関わりを持つ。
因って、小川忠太郎と鈴木大拙との接点はここからも窺がえる。兄弟弟子のようにも窺がえる。
蛇足ながら、拙詠ブログ下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《12》《13》《14》《15》にて長々と連載させていただいております。
 

まとめ(3)
 
 
   ⑥  小野派一刀流を制した小川忠太郎は一刀流の極意『切り落とし』の技を強調なされた。
この「切り落とし」には五つの段階があり、最初の打ちは自分を高めるための自己形成を目的とした修行であるのだという。
次第に段階を深めるにつれて、相手を引き立てながら相手を含めた周囲の環境をより良き方向へ高め導き、延いては全体に奉仕し社会に貢献するに至るのだという。
つまり、自分の命に代えて全体に奉仕し社会の貢献する領域へ剣術が立ち至ることを意味する。
信じ難いほどの崇高な「自己犠牲」「無私」の精神が、そこにあるのである。
柳生新陰流では「まろはし=轉」と称し、直心影流では「丸橋」と言い表し、夕雲・一雲の「相抜け」に技に相呼応することと相成ろう。