老いぼれへぼ教師の回想記《38》

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 熱血漢とか熱血教師と言えば聞こえはいいが、わたしは決してそのような情熱の持ち主ではない。
 うさんくさいうらなりに過ぎない。その胡散臭い末成り者がカットなってこぶしを振り上げ振り下ろしてしまった。
 生徒をして、更生させる意味合いよりも教師としての沽券に関わることとして威厳と空威張りを誇示したに過ぎないことなのだ。
 ふざけるなと、こちらが言われても仕様があるまい。
 吽形に見習い怒りを腹の中に留めるべきであった。
 この勤務校での〆をこのお話にて留めたい。
あと味は決してよろしくはないのである。
 
 

その三 海原に 試練乗り越え 金石中
 
職員バレーとソフト(下)
 
 
 というのには少なからず根拠らしきことがあるのである。私はある年、県議会の現役某議員の御曹司を担任したことがあった。
 校内大掃除であまりにもふざけた上に不真面目な態度で接したので、たまたま彼は学級の会長でもあったので見せしめの意味をこめて思い切りぶん殴った。
 張った押した。貴様の親父が県議だと思って斯様な不遜な態度を取るのかと数発殴打した。
 勿論暴力行為は論外であり、弁明の余地はないことは承知していた。
 私は教師生命を賭して斯かる暴挙に出た。命を掛けており真剣だった。当然、懲戒免職を覚悟した。
 事がどのように大きく発展し、内部でどのような懐柔策が講じられ外部への揉み消し行為があったかはまったく知らないが伊東校長、河越教頭、高田登志夫氏らに大きな迷惑を掛けたであろうことは想像するに難くはないのである。
やはり、ここでも失態を見事に演じている。
というよりも、親御さんがしっかりした見解の持ち主だったのかも知れない。
 いや、その親御さんが如何にご立派なお方であられたことかと当時を思い返えしながら懐古の情に浸るのである
 生前のお元気な頃、県立美術館にて高田先生ご夫妻に偶然出会った折には、なにごともなかったように昔のままの抱擁力を宿した温かい笑みで接してもらった事を鮮烈に思い出す。