うらなりの記《62》

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伊藤達家由緒書きにみる大橋源左衛門
 
 
 信長から秀吉そして家康へと動いた戦国動乱期に、我が高橋家の御先祖大橋源左衛門は伊藤大垣城主の家老職としてデビューした。
 故あってか、西軍石田軍に加勢したことが元で急激なる凋落の道を辿り、江戸藩政時代には辛うじて前田家足軽として命だけは長らえることが適ったわけだ。
 そして、此のうらなり同然のこの身が七十余年の命を存えた。
 高橋家のルーツと此の者の生い立ちの記を綴ってきたが、今少し内輪のことを語りたい。
  
その六  高橋家の相続(1)
 
 ごく普通に世の中の常識に照らせば家を継ぐのは長子である。
 処が高橋家は三男である高橋利治が家を相続した。
 そのことについては既成の事実として誰しも疑義を差しはさむ者はいない。
ただ当家の家系に関わる記述を、利治家の断りもなく傍系の者が僭越にも執筆に当たってしまった非礼の程はお詫び申さねばならない。