老いぼれへぼ剣士の夕雲考《61》

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剣の理法を修錬すれば、行き付くところに人間形成があるのだろう。
剣の理法を修錬するとは、剣技たる刀法を究めることだろう。
刀法を究めれば、ようやくにして人間形成に到達し得る。
つまり、人間形成が相成れば心法をも修錬した聖なる剣者に成り得る。
『相抜け』を否定し去ることは、聖なる剣者をも否定することになり、とても淋しいことに思える。
類稀なる剣技を宿す剣の達人であっても、そこに人としての心を宿さざれば取るに足らない不逞の輩に過ぎないではないか。
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(16)
 
小出切一雲のこと=その8 
 
甲野氏は、『相抜け』が事実無根の虚偽なるウソの剣技であることを実証した第一人者であることを自負されていられるのである。
同時に、『相抜け』のタブーを公開したという功績を自ら認めていられる。