老いぼれへぼ剣士の夕雲考《62》

 
 此の神聖にして深遠なる領域を、ただただ私如き盆暗者が単純至極に両断してみてもナンセンスかもしれない。
 夕雲と一雲の子弟間には『相抜け』が成り立ち、この両者は聖なる剣者であることが証明された。
 処が、一雲と圓四郎の子弟間には『相抜け』が成り立ち得なかった。
 この両者は聖なる剣者には成り得なかったという事であり簡単明瞭なことではないでしょうか。
 つまり、刀法こそ成就したが心法を究めるには至らなかった。
イメージ 1
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(17)
 
 
小出切一雲のこと=その9
  
しかし、夕雲と一雲が「相打ち」の剣を畜生剣として蔑み、『相抜け』の技を暗中模索して確立した。
この両者が目指した高尚なる志しは普遍的に是認されて然るべきものだと確信したい。
純粋培養された剣術理論の中では、仮にその存在価値が否認され抹殺されようが、無住心剣並びに『相抜け』の剣理は永遠に評価されて然るべしと言いたい。