独り言

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暗黒の中に光明を
 
 
 どんなに下らない事であっても、真実を知りたい。
 やがて消え去る身なるが故、猶の事焦る気持ちでそう思うのです。
 手短に、その願いを (かな)させる番組が愛川欽也のあの報道番組に違いない。
 今日の愛川さんは前回と異なり本来の覇気を取り戻らされていた。
 四月以降の番組継続が確約されたのだという。同慶に堪えない。
 はっきり言って、小生にとっては“ボケ防止”の格好の手段に他ならないのだが。
 コメンテーターの発言に、目を皿に耳をそば立てて聞き入らねば理解が覚束 (おぼつか)ないのだ。
 今日も、放射能汚染が話題になった。
徐々に段階的脱原発は生温い、即原発しかないと京大小出先生は臆することなく持論を展開された。
 処が、先生の口から弱音ともとれる“力の限界を感じる”との発言に他のコメンテーターの方々から一斉に反発の声が上がり、その弱音の部分を即座に撤回なされる場面があった。とても印象的であった。
 そして先生は続けて、国民一人一人が原発の是非について自分の意見を持つべきだし、その意思を発信し続けねばならないと指摘なされた。
 その時わたしは梅棹 (うめざお)忠夫先生の理性叡智のお話を思い起こした。
 つまり、「理性」が突き詰めて行き着いた先が物質文明の極点「原発」に他ならず、それが今『暗黒』の世界に突き落とされてしまった。
 その今こそ、我らは「叡智」を働かせ『光明』を模索しなくてならないが、それは一部の宗教者や文化人、学者たちの「叡智」に任せるのではなく、個々人の如何に貧弱で稚拙であれアマチュア的頭脳で一筋の『光明』を探し出すための「叡智」が求められているとの指摘を思い出し、軌を一にした次第だ。
 今東京と大阪で、原発の是非を問う住民投票を求めて直接請求する動きがあるが、両首長さんに注目して、その成り行きを見守らなくてなならない。
 又この原発再稼働へ向けての不穏な動き以上に気になることが、何処かの地で思想信条の自由権に関わる極めて忌々しき事態が白昼堂々と罷り通っていることに愕然 (がくぜん)とする。
 背筋が凍る慄然 (りつぜん)たる思いが募ってならない。
 どさくさに紛れて、日本国が彼らたちに蹂躙 (じゅうりん)されしまうのか。
 メールやブログが危ないということになれば・・・怖いよ。
 南京虐殺日本国憲法も歴史のページから抹殺されようとしている。
汨羅 (べきら)の淵に波騒ぎ・・・”軍靴の音がだんだん近づいてきているよう変な錯覚
胸騒ぎするのはわたし一人なのだろうか。
神経過敏なのか。
臆病なのか。
わたしだけなのだろうか。