老いぼれへぼ教師の回想記《77》

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オイルショックを経て高度成長に翳りが見え始め、またあさま山荘事件は若者たちの政治運動を衰退させた。
それまでの日本国の一時代は終わりを告げ、国中に無力感とか失望感が充満しはじめた。
三無主義は、このような時代背景のもとに忍び寄ったのかもしれない。
 
”三無主義”に毒された現場一掃のため教師個々人がモチベーションを維持しつつ命を賭して取り組んでいたならばと悔悟する一方、更にはいま脚光を浴びる異色の政治家橋下徹氏如き人物が、あのご時勢に若しも登場していたとすれば如何なる展開が醸し出されたものだろうかなあと・・・
 
 
その五 挑戦と試練挫折の河北台(25)
 
企業派遣研修(9)
  
この間、高卒労働力の流出をセーブし歩留まりを確保するための幾重にも渉る志気高揚策にお目に掛かった。
人間らしいマナーやエチケットに嫌味なく完璧に板についているのである。
彼らの一挙動がもろに企業イメージに直結しているのである。
押し並べて彼らの言動は完膚なきまでに洗練されていた。都会的であった。
そこで問題は、これらをば今日的な三無主義に毒されつつある日本国の教育現場にどのようにして還元すべきなのか。
いや、還元すること自体が果たして可能なのか。
もしも可能とするならばいかなる教育条件を整備すべきなのか、教育界に課せられた懸案事項が山積するように思えて仕方がないのである。