合掌…正座不能
その八 高橋当主=利治家の人たち(3)
母の手一つで育った利治だが終戦直後の極貧の中苦労も多かったろう。
昭和三十年に母としは五十を待たずに四十七歳の若さで世を去った。
母失いし年、利治は十二歳の多感な少年期を迎えていたが、母の代わりになって我ら男世帯の炊事一切を賄ってくれた。
心身共に辛苦の連続であったろう。我らのために人柱に匹敵するくらいの尊い犠牲を遺憾なく払ってくれたことになる。
井戸端で手押しポンプを一人操作する弟の痛々しい姿を思い出さざるを得ない。
階下に住む家主一家との共同炊事場であり便所とて同様であった。
当然ながら、上下水道の供用に与かることはなかった。
頭をかたぶき手を合わせるだけで済むことではない。
三重苦に苛む弟を尻目に、当のわたしは京都の安下宿に身を置き、その間の出来事の一切は只傍観するのみであった。
卑怯者と言われても仕方がない。
一家とは、遊離した情けない存在だった。