うらなりの記《77》

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 弟利治は石川マツダ株式会社の取締役にまで上り詰めた。
 整備ライセンスと販売実績を引っ提げて、裸一貫の独力での勝利であった。
 仮に中小零細企業であったにしろ、役員待遇の地位と肩書は末代までの栄ある名誉に違いない。
 今此処に改めて、その偉業を永遠に称賛し賛美したい。
 
その八 高橋家当主=利治家の人たち(4) 
 
本人は学業どころではなかった、多分楽しかるべき部活動にも関与できないほどの重圧を掛けてしまったのだ。
 金沢高校を卒業後、石川マツダに就職し整備や査定の仕事を丹念に習熟し修練して次々とライセンスを手に入れていった。
 自分の手で叩き上げた老練なる手腕が高く評価されてついには石川マツダ株式会社の取締役の座にまで登り詰めた。見事なる大出世に違いなく、実に天晴れなことなのです。